推しがいるということ。

初めてのブログというものを書きます。

多分最初で最後になるかなぁ、、、

きっと長くなると思うけど、この思いは何処かに記しておきたくて。完全なる自己満足なので文才がなくても書いちゃいます!(もし見て下さる方がいらっしゃれば心を銀河級に寛大にして下さい)

 

 

まず、はじめに。

2018年1月16日に吉野晃一が超特急というグループから去りました。

それからもう2年以上の時が経っています。

1から全てを話すと真面目に5時間くらいかかりそうなのでやめますが、まあ一言で言うならば「悔しい」というこの感情でした。

私が超特急に出会ったのが大学受験期真っ盛りの頃で、受験ってめちゃくちゃ辛くて癒し求めんとやってられん!って気持ちで溢れかえっててそんな時期に彼らと出会いました。でもでも、本当に初めて彼らのことを知るきっかけとなったのは今の推しタカシくんです。映画『一週間フレンズ。』を見に行ったとき、山﨑賢人くんの隣にいるこの輝かしいイケメン誰や?!となった私。早速調べてみると超特急というダサかっこいいを持ち味としたグループで、バックボーカルを務めてるんだ!ということを知りました。この時にYouTubeの1番上に出てきたバッタマン(有名どころということもあり)を聴き、珍しいダンスや歌詞、まさにダサカッコいいという言葉に相応しい曲調が癖になりエンドレスリピートで聴いてたのですがそこから次の曲へ!と自分の興味の幅が広がることはなく彼らそのものに、「超特急」にハマることはありませんでした。今思えばなんでなんやろ……の一言。きっかけとタイミングって本当に分からないね。まさに恋はタイミングってやつだな。EBiSSH様様。()

と、こんな風で私は超特急を知ることになったのですが、同年の夏に同じ事務所に所属する「DISH//」を好きになりました。そこからは受験勉強しながらスラッシャーとして生きていました。高校のリア友が8号車で吉野推しということもあってネバギバのCDを頂きました。それを聴いたときにボーカル2人の声がすごく好きだと思いました。強くて芯のある、1度聴いたら頭から離れないような虜になるようなそんな歌声。〝声に惚れ込む〟って経験、初めてだったから自分でもなんだが不思議な感覚で。(あっ、顔面も勿論好きですヨ)

 

 

 

この頃からか、ぼんやりと私推すならこの人なのかもしないという思いが沸いていたのかな、そんな気がします。

けど、私は3月の頭まで受験生をしていた(尽く落ちまくった地獄の日々)ので年末に開催されたアリーナツアー「The End for beginning」には乗車できずに今は勉強を頑張って次のライブで絶対に会いに行くんだー!と、ひたすら机に向かってその気持ちを励みにして頑張ってました。

 

けれど、7人に会いに行く夢は叶うことはありませんでした。「脱退」の二文字をみたとき嘘でしょ、って頭が真っ白になって……でも、私が何よりも先に思い浮かんだのは私に超特急をもっと深く知るきっかけをくれたネバギバのCDをくれた吉野の推しのお友達でした。次の日学校に行くとどうしていいかわからん、とボロボロになっている姿を見て本当にかける言葉がありませんでした。私も辛かったけど彼女の前では泣けませんでした。だって、デビューを迎える頃から、小さな小さなホールでライブをしていた頃から7人のこと追いかけていたんだから。大阪城ホールの前にある小さなライブハウスで「いつかはここでやれる日きたらいいよね」って話をしてたんだって、そんな素敵な夢の話を聞かせてくれたこともありました。だから私より何千倍も辛いんだろうと嫌になるほど感じることができました。けどね、今だから言えること、ここでだから言えることなのですが、私にもどうしても拭えない辛さがありました。新規には新規なりの辛さが。推そうと思ってた人がいなくなることってほんとに辛かったです。私は会うことも、その姿をこの目に映すことさえその歌声をこの耳で聴くことさえできずに終わってしまった。家で一人でわんわん泣きました。半年後の春ツアーが発表されていたけどどうしても行けなくて、、、勇気が出なかった。7人のことすごく好きだったから現実を見たくなくて、怖くて足を運べなかったんです。もうこんな思いしたくないなって思った。

でもね、そんな思いを抱えながらもどうしても諦められなくて。嫌いになりそうなくらい好きだった。ずーっと矛盾してた。好きなのに素直に応援出来ない私がいて、応援する以上は推しを決めなきゃなって思ってるのにやっぱりどこかでコーイチくんのこと忘れられなくて推しが定まりませんでした。だから2018年のエビライも誰のペンライトを降っていいかわからないし、バックボーカルの2人の声を探す自分がいたし、すずの隣でポロポロ泣いたし、ユニバでの7周年クリスマスライブでも泣かないって決めてたのに1曲目から号泣、りんちゃんに支えてもらってなんとか乗り切ったって感じだったなぁ(笑)

でもそんな路頭に迷った私に区切りを付けてくれた日が、2018年12月26日大阪城ホールでのワンマンアリーナツアーです。その時の感想がこちら。(当時に等身大に感じたホヤホヤな思いを綴ったものです)

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ほんとに全ての考え変えてもらったというか、変えられたというか。ひたすらに圧巻されたな〜、あの時は。ちさとと二人で入れたから耐えてたとこあったな。2人して一生泣いてたね(笑)

 

アンコールの8号車との歌を聞いた時、あぁ私超特急大好きだなって。ユースケが作ってくれたこの歌を聴いて、タカシくんは「ええ歌やな」と涙した様に、私も涙しました。〝永遠なんてないけど〟という歌詞にどれだけの思いを込めていたんだろう。

きっとユースケの中でこのときにはもう自分の中の超特急の理想像が崩れてしまっていたのかもしれないな。それでも夢の為に、超特急の為に、コーイチの為に、8号車の為に。止まることなく突っ走っていてくれたんだね。私達を不安にさせないよう未来をもっともっと明るい希望へと導こうとしてくれてたんだね。

 

スケちゃんへ。

超特急でいた9年間はどのような時間でしたか?

私その9年間のほんのほんのちょっとの時間しか共有することができなかったけど、超特急に出会えたことすごく幸せだなって思います。

そりゃあね、もっと早くに出会っていたら!とか7人の姿を見れてたら!とか思ったりしたこともあったけど、このタイミングで好きになれたからこそ今の私があると思ってるよ。

貴方は超特急の太陽でした。どんなときもみんなを明るく照らす光でした。私なんかには計り知れない程の辛いことや苦しいこと投げ出したくなるようなことも沢山あっただろうけど、ここまでガムシャラになって頑張ってきてくれたことに感謝の思いでいっぱいです。私たちにいっぱい愛と幸せを届けてくれた分、今度はユースケが幸せになる番だと思います。

美味しいパンを食べて、好きな映画を見て、たまには6人のことを思い出して。今までできなかったような普通の幸せを手にして欲しいな。これからの福田佑亮としての人生がどうか幸せなものでありますように。

愛してるよ~〜~!!!!!

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